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山野弘樹 著『VTuberの哲学』(春秋社、2024)を読了したので、感想というか備忘録的なものを。
どんな本か
実際にあった(ありうる)VTuberの活動事例あるいは現象について、著者が提唱するVTuberの定義に基づき「哲学的に捉えるとこういうことでは」という解釈を提示している本です。VTuberの歴史や文化については必要最低限しか触れられていません。
著者による「VTuberの定義」はさほど違和感なく受け入れられるもので、その定義にそって展開される内容も論理的に破綻していないように見受けられます。しかし一方で、「別の定義を採用したほうがよりシンプルに解釈・説明できるのでは?」というケースもあります(著者自身もそれは認めている)。
いずれにせよ、書式も含め本書はまぎれもなく「哲学書」「学術論文」の類なので、読む人を選びますし、求められる読解力も高めだと思います。
また、これ一冊でVTuberのすべてを解釈・説明できるわけではないので(著者もそこは目指していない)、「お手軽にVTuberに関する知識・雑学を増やしたい」「お手軽に『VTuberに詳しい人』っぽい雰囲気を醸し出したい」という向きにはおすすめしません。
誰が読むべきか
本書は以下のような人におすすめできます。
- (限定的な定義の下であれ)VTuberを哲学的に考えたい人
- 「VTuberの定義」をなんでもいいから基準としてひとつ持っておきたい人
- VTuber関連の職に就いており、かつVTuberについて他人に説明や企画提案する機会がある人
- 将来「VTuber研究家」「VTuberジャーナリスト」のような肩書きを名乗りたい人
個人的な疑問
第二章第三節でホロライブ所属のVTuber、戌神ころねと宝鐘マリンの「入れ替わり事例」を検討しているのですが、以下のような場合、著者の定義ではどのように解釈するのか気になります。
- 3Dモデルを用いたライブにおいて、ダンスパートを「中の人」(本書に準じるなら「配信者」)ではなくモーションアクターが演じており、公式には発表されていないがそのことに視聴者が薄々感づいている場合
書籍『VTuberの哲学』
書名(名は体を表す)
(5)
難易度(特に第二章が高難度)
(5)
著者のVTuber好き度(第五章は熱量高め)
(5)
おすすめ度(素人にはおすすめできない)
(3.5)